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鹿児島地方裁判所 昭和32年(ワ)42号 判決 1963年10月28日

原告 国

指定代理人 広木重喜 外四名

被告 神崎義広

主文

被告は原告に対し、

別紙第一目録記載の土地につき昭和一九年四月一四日の売買を原因とする所有権移転登記手続をなし、金五、七〇九、〇五八円及びこれに対する昭和三二年三月二〇日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

事  実 <省略>

理由

一、鹿児島市郡元町二、三七五番の一〇、宅地八、八六〇坪及び同番の二四、畑七畝二歩(以下本件土地という)が被告の所有であつたことは当事者間に争いがない。

二、原告は昭和一七年九月二二日本件土地を被告から代金三二、八三二円で買受けたと主張し、被告はこれを争うので判断する。

甲第一号証の被告名下の印影が被告の印顆によるものであることは当事者間に争いがなく、被告本人尋問の結果によりその印影が被告の意思に基づき押印されたことが認められるから全部真正に成立したものと認められる甲第一号証、証人藤原一二(第二回)の証言により成立の認められる甲第四号証、証人馬場順二、同森永厚見の証言の一部(後記信用しない部分を除く)、同松元栄造の証言の一部(後記信用しない部分を除く)、同田辺健吉(第一、二回)、同森園繁明、同藤原一二(第一回)(後記信用しない部分を除く)の各証言、を綜合すると、昭和一七年頃訴外森永厚見において本件土地のうち約半分位を被告から借りて養豚業に使用していたものであるが、その頃旧海軍佐世保施設部(以下原告という)は鹿児島市郡元町附近の土地を飛行場用地として買収すべくその計画を樹立してこれを実施し、同年九月二二日頃第二期買収部分として被告に対し同人所有の本件土地を軍に売渡すよう申し入れて来たこと、被告はその当時原告から示された買収代金が二、三七五番の一〇宅地八、八六〇坪のうち八、三九二坪を畑として坪当り三円合計二五、一七六円、残りの四六八坪のみを宅地として坪当り一五円合計七、〇二〇円、同番の二四畑七畝二歩を畑として坪当り三円合計六三六円、総合計三二、八三二円と評価したものであつたので右買収代金額に難色を示し買収に応じなかつたが、しかしすでに周囲の土地は殆んど買収され海軍により航空機の基地として着々と工事が進められていたので被告も当時の社会情勢からみて買収されることには異議はなく本件土地を海軍が使用していることも黙認していたが買収代金を全地とも宅地として評価した額にしてもらいたいと希望していたので訴外森永厚見、同松元栄造、同森永藤内の三名を代理人として当時の飛行場建設事務所を訪れしめ同所の責任者に買収代金についての被告の右希望を伝えさせたが交渉はまとまらなかつたので、更に同一九年一月頃右松元栄造、森永厚見の二人を代理人として佐世保鎮守府施設部を訪れしめ、前記被告の希望する代金額をもつて買い上げるよう交渉させたところ、当時の同施設部責任者は前示の額は前任者が決定したものであり早急にはその額を変更することはできない、今のところは同額で買収に応じてもらいたい旨回答しその際できることなら本件土地の地目地積について再調査し右金額が不当であると判明したときには正当な代金額に修正してもよいという希望的条件を附加した。右両名は帰鹿し被告に海軍の意図を伝えるとともに海軍から代金の受領を促して来たならば買収に応じ代金を受領するよう進言したところ同年四月一四日頃海軍から被告に前示金額を受領するよう申し入れて来たので、同日被告は鹿児島銀行本店において右金額を受領し領収書(甲第一号証)の被告名下に押印し、その後ひたすら海軍の希望的約束の履行を待つていたが戦争はますます激化して来たので海軍も多忙をきわめ再調査も意のままに行かず又被告からもその申入れをする機会も得られないまま終戦を迎え現在に至つたこと及び被告はその後現在まで右受領金員を海軍及びその承継者である原告に返還していないことが認められる。

右認定の諸事実によれば前同日原被告間に本件土地について売買契約が成立したことが認められる。成立に争いのない乙第一号証には鹿児島市郡元町中郡満ケ崎二、三七五番の一〇宅地三四六〇坪、同番の三〇宅地九〇〇坪、同番の三二宅地九〇〇坪、同番の三三宅地九〇〇坪、同番の三四、宅地九〇〇坪、同番の三五、宅地九〇〇坪、同番の二四(七〇二歩)が国有地ではなく被告所有の民有地である旨の記載があるけれども同土地(同土地は後記のとおり同番の一〇を分筆したものでいずれも売買の対象となつていたものである)が昭和一九年四月一四日原告の所有に移転したことは前記認定のとおりであるところ、証人小池吉金の証言によれば同二八年三月頃南九州財務局鹿児島財務部に勤務していた訴外小池吉金が北九州財務局長島財務部佐世保出張所に国有未登記土地の調査に行つた際に甲第一号証が昭和一九年四月に買収した土地の関係証拠書類の中から発見されたことが認められる。右事実によれば同月頃から本件土地が国有財産に属することが判明し南九州財務局鹿児島財務部が乙第一号証を作成交付した当時は戦後の混乱期であつたことも手伝い本件土地が国有財産に属することを証明する資料がなかつたので適確な資料に基づかずに同号証を作成したことが認められるから同書証をもつて直ちに前記認定をくつがえすに足りない。証人馬場順二、同森永厚見、同松元栄造、同藤原一二(第一回)、同柳堀精作(第一、二回)、被告本人の供述中には旧海軍のなした買収については契約が成立すると海軍省令に基づき売主から売渡承諾書、登記承諾書、売渡証書を徴収していたが被告からはこれらの書類を徴していないから原被告間に売買契約は成立していない旨及び代金三二、八三二円が被告に交付されているとしても錯誤に基づくものである旨の供述があるが、旧会計規則(大正一一年一月七日勅令第一号)の政府が私人との間に私法上の契約を締結しようとするときは契約書を作成し担当官吏記名捺印することを要する旨の規定(第八五条、第八六条)は政府契約の要式行為性を規定したものではなく契約成立の証拠方法として或は支出担当者の支出原因を明確にするため契約担当職員に契約書の作成を命じたいわば訓令的規定と解するのが相当である。従つて売買契約が成立するための要素としては売主と買主の合意があれば足り売渡証書、売渡承諾書、登記承諾書等の作成は必ずしも必要でない。又本件土地以外の買収地に関する登記承諾書等の提出されていない本件においては右各証拠も又右認定をくつがえすに足りない。他に右認定を左右するに足る証拠はない。

三、次に強迫の抗弁について判断するに、証人馬場順二の証言、被告本人尋問の結果中には右主張事実に副うような供述があるけれども右各証拠によるもまだ強迫の事実があつたとは認められない。他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。

四、そうだとすれば本件土地は昭和一九年四月一四日、被告から原告に売渡され同日所有権の移転があつたものといわざるを得ない。そして被告が本件土地のうち鹿児島市郡元町二、三七五番の一〇宅地八、八六〇坪を同番の三〇ないし三五の符号を付して分筆し、そのうち三二は三六、三七の符号を付し、三五は三八、三九の符号を付し各分筆したこと同番の一〇の土地はその後更に区画整理登記上必要があるため整理施行者鹿児島市の代位登記により同番の四〇ないし四二の符号を付して分筆されたこと及び別紙第一目録記載の土地が現在も被告名義になつていること(但し同番の一〇、同番の四〇ないし四二、及び同番の三三の土地については持分権)は当事者聞に争いがないから被告は原告に対し同目録記載の土地について昭和一九年四月一四日の売買を原因とする所得権移転登記手続をなすべき義務があり、更に被告が別紙第二目録記載のとおり原告主張の頃その土地をその主張の代金で譲渡し或は競落されそれぞれ所有権移転登記のなされたことも又当事者間に争いがなく、右各事実、第二項認定の事実に徴すれば被告は該土地の所有権が被告から原告に移転した事実を知りながら右のとおり譲渡し或は競落されそれぞれ所有権移転登記手続を完了しその代金四、四三五、二八四円を得たことが認められる。従つて右利得行為は原告に対し違法であり被告は法律上の原因なくして原告の損失に因り同額の利益を得たものであるからその返還義務があるものと言わざるを得ない。そして右認定の事実によれば被告は悪意の受益者であるから更に原告の蒙つた損害をも賠償すべきところ、成立に争のない甲第二号証の一ない三、同第六号証によれば被告が該土地をそれぞれ譲渡し或は競落された当時の価格は同目録譲渡時時価欄記載のとおりでその総合計五、七〇九、〇五八円であることが認められ他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。被告は右譲渡(或は競落)行為により原告に同額の損失を与えたことになるから同額から前記不当利得返還金額四、四三五、二八四円を差し引いた金一、二七三、七四四円の損害を賠償する義務があるといわざるを得ない。

五、以上説示のとおりであるから原告の被告に対する別紙第一目録記載の土地につき所有権移転登記手続と金五、七〇九、〇五八円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和三二年三月二〇日から支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴請求はすべて正当であるから認容することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 宮本勝美 早井博昭 近藤寿夫)

第一、第二目録<省略>

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